ベラ・バルトーク(1881年生~1945年没) / 左手の為の習作(1903年)
Béla Bartók (1881-1945) – Tanulmany balkezre(1903)
(1881年3月25日トランシルヴァニア生)
(1945年9月26日ニューヨーク没)
演奏:智内威雄
録音:君島結
映像:藤井光
日付:2011年8月19日
会場:東京音楽大学
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左手のアーカイブCD-004 「リスト、バルトーク、レーガー」
(型番:WTCH004)

レーガー作曲:「4つの特別な習作」
– 1.スケルツォ
– 2.フモレスケ
– 3.ロマンツェ
– 4.前奏曲とフーガ
リスト作曲:「ハンガリーの神」
バルトーク作曲:「左手の為の習作」
(ピアノ演奏)智内威雄
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4つの小品の中に収められている《左手のための練習曲》初演は1903年4月13日ナジセントミクロージュにて、バルトーク自身のピアノで演奏された。ハンガリー王立音楽院(現在のリスト音楽院)でのピアノの師であったトマーン・イシュトヴァーンに献呈されている。
バルトーク自身が卓越したピアニストであったため、曲はピアニスティックで名人芸にあふれる魅力的な作品となっている。そして左手の曲というジャンルに着手したのはヴィルトゥオーゾであった彼ならではの挑戦的発想と言えるだろう。
曲は顕著なハンガリー的色調を帯びつつも、曲全体のきらびやかさや冒頭の数オクターヴにわたるアルペジョのパッセージはシュトラウスの手法を思わせる。限定された和声手法と伝統的な終始構造、これはブラームス的要素である。(「このころの私はブラームスのスタイルからは脱却した」と自伝で述べているが、この曲に関していえば些か疑問である)
こうした曲の内容からは作曲当時のバルトークの様子が見えてくる。
この曲が完成する以前、2年間ほど作曲をしていない期間があったが、1902年シュトラウスの《ツァラトゥストラはかく語りき》を聴いて衝撃を受け、彼の曲を熱心に研究し創作意欲を取り戻した時期であったこと。
ハンガリー人国家の独立を求めて民族意識が高まっていたこと。彼は民族衣装を着始め、家族には日常会話にドイツ語を使うことに対する憤懣を綴った手紙も書いている。
ブラームス的要素。これはバルトークの通っていた王立音楽院は伝統的なドイツ音楽に重きを置いていたこと。そして彼の作曲の師がブラームスの音楽を踏襲したケシュレル・ヤーノシュ(ハンス・ケスラー)だったことに所以するのだろう。
1903年に初のベルリン独奏会のことを書いた手紙にこの曲の記述が残っている。
意義深い12月14日が終わりました。コンサートによって僕の実力が評価される、はじめての本格的な仕事でした。(中略)「左手のための練習曲」はとてもうまくいきました。聴衆はこの曲に1番感銘を受けたそうです。その中にはブゾーニとゴドフスキーもいました。彼らもとても感心したご様子でした。(後略)
――ピアノの師トマーン・イシュトヴァーン宛てに
音楽院の作曲科の試験やその後のいくつかの演奏会で演奏をしていたという記録から、作曲者自身お気に入りの作品であったことが窺える。
有馬圭亮
参考文献
:ニューグローヴ世界音楽大事典 Stanley Sadie〔ほか編〕 柴田南雄 遠山一行監修 講談社 1994年
:ポール・グリフィス『バルトーク―生涯と作品』和田旦訳、泰流社、1986年。
:ベラ・バルトーク著『ある芸術家の人間像―バルトークの手紙と記録』羽仁協子訳編、富山房、1970年。
:H.スティーブン著『バルトークの音楽と生涯』志田勝次郎、宇山直亮、飯田正紀訳、紀伊国屋書店、1961年。
:セーケイ・ユーリア著『バルトーク物語』羽仁協子、大熊進子訳、音楽之友社、1992年。
:横井雅子著『ハンガリー音楽の魅力 リスト・バルトーク・コダーイ』東洋書店、2006年。
略歴:有馬圭亮(ありま けいすけ)
1989年大阪生まれ。4歳よりピアノを始める。2010年、局所性ジストニアの発症を機に、片手のピアノ曲の研究を始める。大阪教育大学大学院芸術文化専攻在籍。これまでに坂弘子、河江優、佐野まり子の各氏に師事。現在、志賀美津夫、智内威雄両氏に師事。2012年よりLefthandpianomusic.orgに所属